深まる混迷
2020年03月29日
新型コロナウイルス騒動(敢えて騒動と申し上げます)は益々混迷を深めています。
2009年の新型インフルエンザウイルス騒動の際は、あんなに大騒ぎしていたのは日本人くらいでしたが、今回はSNSを介する情報のグローバル化等により、まずは武漢続いてイタリアそして米国(特にニューヨーク)等での惨状が世界を駆け巡り、全世界的なパニックの様相を呈しています。
我々一般開業医の間では当初は(通常の感冒の20%がコロナウイルスであること、新型というもの遺伝子的あるいは抗原性の変化が大きくはないことより)「あれはカゼだよね」「インルルエンザと概ね同様に対処すればいいはずだよね」と言っていたところが、上記のような惨状が映し出される度に、「これはあかんぞ」という漠然とした恐怖感が凌駕するようになってきました。
しかし武漢は劣悪な衛生環境及び経済格差が招いた悲劇であり、イタリアはベルルスコーニの極端な医療費削減政策のしわ寄せであり、米国での死者が1200人を越えたというものの、同国の年間の肺炎死亡者が10万人前後であることなどを踏まえると、「あれはカゼだよね」「インフルエンザと概ね同様に対処すればいいはずだよね」という理論的背景に基づく概観はあながち間違ってないのではないかと、今でも考えています。
しかし専門家の発言が金科玉条・唯一無二とされ、我々の声は掻き消され、葬り去られていくばかりです。感染症の専門性という切り口から見れば個々の事象は正しいかも知れませんが、「木を見て森を見ず」の例えどおり、全世界的に森を見失い、眼前の事象のみに翻弄されているのが現状だろうと私は考えています。
もはや我々にはなす術はありませんが、こうして細々とでも発言していくことがせめてもの責務なのではないかと感じています。
恐らくトランプ大統領あたりからの「我々はフェイクインフォメーションに惑わされいた、ハイこれで過剰な警戒措置はおしまい!」的な発言により、世界は日常を取り戻すのではないかと、私は予想しているところです。